追いかけっこ

恵南

「…………」
「…………」
あたし達は睨み合っていた。
――いや、睨み合う…というよりは、目を合わせたまま動けない状態と言ったところだろうか。
自然と汗が頬を伝って流れ落ちてゆく。
こういう場合、大抵先に目をそらした方が負けるのが一般的。となれば、何が何でも引くわけにはいかない。
いくらあたしが天才美少女魔導士とは言え?身体はかよわい女の子。魔力や戦略がどんなに優れていたところで、力で抑えつけられたらどうしようもない。
そういう自分の弱点を把握してこそ一人前ってもんよ!これらを踏まえた上で現状最善策を練るべしっ!!
あたしは相手から目をそらさないまま、じり…じり…と、少しずつ後ろずさる。
しかぁし!相手もあたしから目をそらさずに一歩、また一歩と、あたしとの距離を埋めていく。
ぐぬぬっ!やるなっ!

「おい」
 突然声を掛けられ、ひょえっ!と言わんばかりに、あたしの肩がびくりとなった。それでもどうにか冷静さを保つあたし。
「……何よ」
「何よじゃねーだろ。何で逃げるんだよ」
「いや、逃げてないし」
「じゃあ何でオレがそっち行くと後ろに下がるんだ?」
言いながらも、あたしと相手の距離は縮まらない。絶えずあたしの後退→相手の前進が続く…と思われた矢先、あたしの背中がどんっと壁にぶつかった。
しまったぁぁアア!!相手の動きに気を取られすぎてたぁぁ……
これ幸いと言わんばかりに、目の前の相手…つまりガウリイが、ニコニコと満面の笑顔を振りまきつつ、あたしに近づいてくる。
やばい。
とりあえずやばい。
「もう逃げられねーな」
さらに明るい表情のガウリイ。こんだけ黒い微笑みがこんだけ爽やかなのは、何か納得いかない。
「いや、だから逃げてないし」
「ふーん?」
あたしよりもはるかに大きな手が、顔の真横あたりの壁を押さえつける。窓から差し込む月明りも、部屋を照らす灯の明りも、
すべてガウリイの身体に遮られ、あたしのまわりだけ薄暗い。
「えーっと。とりあえず、この手どけてくんないかな」
「そんなことしたら逃げるだろ」
「いや、さっきから言ってるけど逃げてないし」
「あれを逃げてるって言わないで、何て言うんだよ」
腰から上半身を折り曲げる形で、ガウリイの目線があたしと同じ高さになる。
ち、近い…ッ
顔が近いぃぃぃいい!!
あたしは思わず顔をそむけ、目を……つぶった。目を閉じたのではない、つぶったのだ。ロマンもくそもあったもんじゃない。
いやこれどっちかっていうと脅されて後がなくなって腹をくくった状態みたいじゃないか。
しかし、ガウリイは特になにもしてこなかった。
……してこなかったんだけど。
妙な沈黙?に耐え切れず、顔はそむけたまま、うっすらと目を開く。
そして次の瞬間、あたしは自分のとった行動を激しく後悔した。
「……え……っと……」
 ガウリイは何も言わず、ただじっとあたしを見ている。さっきよりさらに、距離を詰めて。
少しでも動いたら、とりあえず鼻先辺りは当たっちゃうんじゃないだろうか。
 しかもその顔が。何て言うか、反則なのだ。
 恐ろしく無表情のように見えて、目の奥がぎらっぎらに燃えてるような。
目から何かビームでも出されてるんじゃないかっていう気になる。
 そうだ!何ていうか!視線の熱で溶かされそうっていうか!
 いや誰がうまいこと言えと!!
 沈黙に耐えきれず目を開き、沈黙に耐えきれず口を開き、次にあたしの取るべき行動は……
 ―――あれ、どうしよう?
 頭が混乱していた。そりゃしょうがない、こんな状況で混乱すんなって方が無理な話だ。
それでもかろうじて冷静を保とうとするあたしの精神力に、心から拍手を送りたい。
「………ぁ………あ…あの………」
 次に続く言葉を探しながら、とりあえず口を開くあたし。
「…え…えぇ……っ…と?」
 これだけ気まずい状況にあって、それでもなぜか不思議とガウリイから目を反らせずにいた。
 まるで青く静かに燃える火のようにゆらゆらと揺れる瞳が、あたしのそれを捕えて放そうとしない。
「……う……んと……」
 意味のない接続詞を並べ立てても、ガウリイは何も言おうとはしない。
「………はな…して……ほしいんだ…けど……」
「……ふぅん?」
 ようやく口を開いた目の前の男は、しかし表情を変えようともせず、静かにぽつりとそうつぶやいた。
「別に、オレは今お前の身体にまったく触れてないんだけどな?」
「……いや、でも…」
「そうだな。こうやって頭の横に両手をついて、囲ってる形にはなるな。
でもそれだって、ちょっとすり抜けようと思えば出来なくもないだろ?」
 ここではじめて、ガウリイの顔が小さく意地悪く笑みを浮かべる。
「そ…そんなこと言ったって、あたしがそうしたら、それを邪魔して捕まえたりしないとも限らないじゃない…」
「別にそんなことしないさ、リナが本当にそうしたいんなら……な」
 ああ…どうしちゃったのあたし……
 いつもなら乙女のたしなみスリッパちゃんをどこからともなく取り出して、スパッ!と景気よくつっこみを入れてるところだろうに……
 ――いや、わかってるんだけど……
「……どうしたんだ?逃げないのか?」
 それでもなお、意地悪くガウリイがあたしに言った。
 耳元で、低く、甘い響きで。
「………だから…逃げてない……ってば…」
 身体の中心が、頭の中がゾクっとして、ブルッと全身が震える。
あたしはとうとう観念した。
 この状況で、どうあがいたところでもうどうにもなるわけでなく。
「……ふぅん」
 今度こそガウリイは、勝利を確信したように笑った。と同時に、何かの呪縛が解けたように、あたしは彼から目を反らす。
行き場なく、伏せ目がちに泳ぐあたしの視線。まばたきの回数が無意識に増える。
 横の壁にあったガウリイの右手が、くいっとあたしの頬からあごにかけて添えられ、上を向かされた。
またガウリイと目が合って、ガウリイが目を閉じるのと同時に、ガウリイの顔が近づいてくる。
 ワンテンポ遅れて、あたしはぎゅっと目を閉じた…――

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